2005年09月30日
▽ 虎澤英雄 先生の茶碗 飯能伊羅保茶碗 −飯能焼− 2005.10. 1
久しぶりに虎澤先生も出品する展覧会が大宮であるようだ。
彩の国 陶芸秀作展 ― 櫻守 in 秋の陶芸 ―
2005年10月5日(水) 〜 11月5日(土)
大宮の展覧会に出品するのも珍しいような気もするし、6人の陶芸家の一人
としての出品ということのようだ。6人のそれぞれ作風の違った作家さんた
ちとの展覧会だ。
飯能伊羅保茶碗
虎澤先生の案内状の作品は、先生らしい変化にとんだ緩やかに波打つ茶碗。渋い感じの中に凛とした優しさの漂 う、先生の女性的な優しさの白磁茶碗に対して、男性的なものを感じる作品だ。
■ 翠青の器 茶碗 - 1 茶碗 - 2 茶碗 - 3 茶碗 - 4 茶碗 - 5 ■
■ 虎澤英雄 トルコブルー ■ ■ 飯能焼 武州飯能窯 虎澤英雄の器 のページへ ■
2005年09月08日
2005.9.7 小林 隆 − 10〜14 < 小林隆・公演予定 >から< 役者・小林隆 >
「 屋上庭園 / 動員挿話 」 新国立劇場 小劇場
2005.9.8 小林 隆 − 11 <2005.9.3 小林隆 ブログ!>
ブログ開設!頑張るぞ、わおおおおおおおおおおお!
皆さんよろしくお願いします! 小林隆 →→→ この続きは
これもコバさんが練習のためにこれからのブログに対する気持ちを書いてくれましたので、大切にとっておきます。
別の人間が書き込むことは普通はないですよね。 権田 功
2005.9.8 小林 隆 − 12 <2005.9.3 小林隆 文章修行!>
これより文章修行を始める。
皆さんお手柔らかに! 小林隆
上の文章は、コバさんがブログ書き込みの練習に私の随想録の中にこれからの意気込みを書いてくれたものなので、大切にとっておくことにしました。この写真はコバさんがブログやインターネットについてレクチャーを受けているところです。 権田 功
2005.9.16 小林隆 − 13 < 小林隆後援会 スタート >
9月10日小林隆後援会設立パーティーも無事に開催され、やっと小林隆後援会がスタート(小林隆の言葉)となった。思い立ってからその日が来るまで、過ぎてみればいつものことのように長いようで短い、ここ一ヶ月はほとんどコバさん(小林隆後援会、小林隆 ウェヴサイト)のことを中心に考えて来た。ここ数ヶ月はどうしたら「小林隆のひとりごと:小林隆 ウェヴサイト」が良いサイトになるか、小林隆後援会が有意義な会になるかを考えていた。
2005.9.16 小林隆 − 14 < 役者・小林隆 >
小林が役者を目指し、今在る小林隆までの思いを本音で語ってくれた。
以前、思わぬ所でアルバイトをしている彼と出会ったことがあった。
家内と「役者として生活していくのは大変なんだろうな。」と彼が成功することを願ったことがついこの間のことようだ。
サンシャインボーイズで演じている彼を見ながら、更なる飛躍を願っていた。
西村さんがテレビに良く出るようになってくるにつれ、小林君にももっとテレビにも出られるようになって欲しい気持ちがつのる。三谷さんも忙しくなるつれ、サンシャインボーイズの活動休止。
小林君はこれからどうして行くのだろうか、演じる場をどこに見出していくのか、とても心配に思ったことを覚えている。
小林隆自身もかなり迷っていたことだろう。役者を続けていけるのかどうか…。
2005年09月04日
2005.9.2 なかなか更新できない WEBサイト
私のこのサイトもそうだが、中身をなかなか更新できないのが現実である。このサイトも、この随想録が中では一番頻繁に更新している方であるが、それでもかなりの間隔になってしまう。それぞれのページに新しい内容を入れるということが簡単にいかないのが原因の一つだ。大会社等で専門の担当者がいればその限りではないと思うが、一般的には元となるコンテンツ作りから、アップまで時間と手間が掛かることが大変である。そこで今はやりのブログは、その辺が比較的に簡単なので誰にでもやりやすいのでここまで伸びてきたのだろう。実はその機能は相当であるようだ。コバさんのサイトもそのブログシステムで構築していくわけであるが、一見その辺のブログのテンプレートにはないデザインを目指して作っている。何しろこのサイトも裏では着々と新しいシステムにリニューアルしていこうとしている。少しでも更新しやすくするために。
2005年09月03日
2005.8.10 小林隆 − 7〜9 < 小林隆後援会 設立へ 6〜 8 >
6日、小林隆後援会準備会の打合せの後、寄居町・水天宮祭花火大会での様子を紹介します。
6日の打ち合わせには小林君本人も参加してくれ、9月10日の小林隆後援会設立パーティー当日の役割分担や進め方等もほぼ確認することができた。またこの日は、私と一緒にWEB関係の仕事をしいる鈴木さんにもおいでいただき、小林隆 ウェブサイトでもいろいろお世話になるが、小林君に直接サイト関係のことやインターネットについて、レクチャーしていただいた。パソコンやインターネットとはまったく縁の無かった小林君にとっては、今回の自分のサイトの制作を期に、パソコンやインターネットにも慣れてもらい、小林隆自身に、小林隆 ウェブサイト「小林隆のひとりごと」 kobasan.jp をみんなに愛されるサイトにしていってほしいと思う。私たちも微力ながら、サイト運営やその他、彼を応援して行こうと思っている。
この日の打ち合わせは、その後が花火大会ということもあり、軽く飲んだり食べたりしながら和やかに行われた。6時ごろに打ち合わせを切り上げ、歩いて10分ぐらいの花火会場となる玉淀河原のほうに向かった。まだまだ明るい河原には、たくさんの人の賑わいに反して、人のいない大きなブルーのシートがたくさん並べられていた。川に近い所のその一つは私たちの物で、他の人の席の間を縫って自分たちのシートまで行き、荷物を解いて、ビールを飲みながら後は花火の始まるのを待つばかりだ。
花火は7時、まだ薄明るいうちから始まり、始めは早打ち10連発、5連発と続き、スターマインが上げられる頃には、徐々に暗くなり、観客の歓声もエスカレートしていく。我がグループも同様、頭上に広がる花火とその音にもう大満足。
寄居町・水天宮祭の花火は、打ち上げ場所が近いこと、見る会場が荒川の河原という窪んだ地形ということもあり、花火の見える距離の近さ、花火の音の反響といい、こじんまりした花火大会でありながら、反してとても迫力がある。小林君を始め、皆もこんな感じで花火を見ることができるのは初めてだということで、大変喜んでもらえたようだ。話は盛り上がり「来年は皆で上げますか。」「俳優:小林隆/小林隆後援会が贈る真夏の夜の大スターマイン」とか、なんていう話まで飛び出した。すると小林君が「小林隆は止めてほしいな。『小林隆って?誰?』『知らない。』なんて言葉が周りで聞こえてくると寂しいですから。」などと、皆で大いに盛り上がった。
2005.8.18 小林隆 − 8 < 小林隆後援会 設立へ 7 >
小林隆のひとりごと:小林隆 ウェヴサイト<kobasan.jp>のトップページがアップ。他のページの基本デザインも決まり随時アップの予定です。コバさんに頑張ってもらうのはもちろん、皆で楽しいサイトにしていきましょう。正式稼動は9月の5日頃になりそうです。お待たせしてすみません。もうしばらくお待ちください。
8月21日ダイアリーとプロフィールページ(修正版)を入れ替えました。解りますでしょうか。
2005.8.21 小林隆 − 9 < 小林隆後援会 設立へ 8 >
小林隆後援会 ◆会員募集◆
2005年9月10日(土) 小林隆後援会の設立に向け、広く会員募集させて頂きます。
小林隆を私たちと一緒に応援していきませんか。
詳細については一部この随想録にも記していますが、ご遠慮なくお問い合わせください。[ お問合せ・お申込み ]
小林隆後援会事務局
(株式会社 計画機構 寄居アトリエ内 権田)
E-mail : gonda@keikakukikou.com
TEL.048−586−0628
FAX.048−586−0629
会員証のオリジナル・キーホルダー(サンプル)
デザイン:権田 功 栗原 稔
製 作:株式会社 栗原精機 (Minimum Box)
オペラを楽しむ会 < レクチャー&サロンコンサート > 2005.8.8
◆オペラを楽しむ会◆ ※今回は終了しました。
オペラレクチャー&サロンコンサート
チレア作曲「アドリアーナ・ルクヴルール」オペラ4幕
藤原歌劇団所属歌手等による歌とトーク
日 時 2005年 8月11日(木) 6:30PM 〜 8:30PM
会 場 フォーシーズンズ志木8階 ふれあいプラザ
志木市本町5−26−1
講 師 岡山廣幸(公演監督・バス歌手/藤原歌劇団)
歌 手 森山京子(メゾソプラノ歌手/藤原歌劇団)
平尾憲嗣(テノール歌手/藤原歌劇団)
藤原藍子(ピアノ)
参加費 無料(ご希望の方はお申し込みください。)
主 催 ワックデータサービス 株式会社
協 力 (財)日本オペラ振興会 藤原歌劇団
【お申し込み・お問い合わせ】
ワックデータサービス 株式会社(担当 濱島)
TEL.049−251−7777
■このイベントは、私が仕事(設計、WEBサイト制作、CGムービー制作、その他)で協力させていただいている会社のオペラ支援事業の一環の催しです。ちょっと敷居が高い感じのするオペラを何とか多くの方にも楽しんでいただこうと企画した、第一弾の催しで、皆で気軽に楽しみながらと考えているようで、これからも主な公演の前に開催していくと思います。ぜひ、多くの方に参加いただければと思う。このポスターも、そのWACの渡辺社長に頼まれて急ぎで制作しました。これもフィエスタの佐々木さんとのコラボレーションです。とても赤の色が印象的で、良い作品になったと思います。
2005.7.4 小林 隆 − 2〜6 < 小林隆後援会 設立へ 1〜5 >
先日、小林君からやっと写真や写真のデータを送ってもらった。小林隆・後援会設立に向けて、小林隆のWEBサイトも立ち上げようと考えていたので、そのサイトに使う写真を頼んでいたのがやっと届いたというわけである。私たちが撮ったスナップ写真と違い、やはり名場面の写真は迫力が違う。これだけの写真をご提供いただいたNHKやミュージカル・コメディ「最悪な人生のためのガイドブック」の関係者の方々には心より感謝いたします。
小林隆・オフィシャルサイト立ち上げに当たって、どうしても外すことができなっかたのが、NHKの大河ドラマ「新選組!」の井上源三郎・役だった。そこでNHKにお願いしてもらい「新選組!」の時の写真を提供していただいた訳なのだが、やはりお願いして良かったと思う。ここではご紹介できないのが残念であるが(1枚だけ)、最後の場面をはじめ本当に良い表情があり、その時その時の感動の場面がグッと思い出される。
いよいよ8月中には小林隆・後援会を正式に設立する方向で、小林隆・本人にも相談しながら、準備を進めている。むしろ大変なのは小林隆・オフィシャルサイトの制作で、8月上旬頃までには仮オープンまで持っていき、皆さんにもご覧頂けるようにしたいと思っている。今はやりのブログ形式で考えてはいるのだが、よくある雰囲気の一般的なブログにしたくない。
小林隆・後援会準備委員会も、スタートに向けて益々これからが忙しくなってくる。
2005.7.12 小林 隆 − 3 < 小林隆後援会 設立へ 2 >
小林隆・後援会設立記念パーティー 9月10日(土)開催決定
<小林君の都合により 8月27日より変更>
9日の小林隆・後援会設立準備会において、8月27日に後援会設立ということになったのだが、小林君の撮影の都合でちょっと27日頃まで食い込んでしまう可能性が出てきたということなので、安全を考えて9月10日に変更させていただいた。後援会設立記念パーティーの会場は小林君の地元でもある川越にあるホテルで行うことにした。当日は小林君を囲んで、まだ会員も少ないので親しい知人友人を中心に、サイトの紹介や源さんの名場面を観たり、小林君にその頃のエピソードを話してもらったりと、和やかな会にしようと思う。
また、それに伴い、小林隆Blogサイトもいよいよ8月上旬完成に向けて制作を始めたい。
「新選組!」源さん!井上源三郎 あの名場面を再び ということで、小林君の記念すべき作品となる「新選組!」源さんの思い出の名場面の一部を特集したいと思っている。
そして、後援会もWEBサイトもこれからやっとスタートということで、これから多くの皆さんの協力を得て育てて行きたいと思っている。ぜひ多くのファンの人たちにも会員になってもらえたらと思う。
2005.7.22 小林隆 − 4 < 小林隆後援会 設立へ 3 >
小林隆・後援会設立へ向けて本当に動き出した気がする。後援会やパーティーの案内も小林君の友人関係や知人関係を中心に発送され、会員証となるオリジナルキーホルダーの基本デザインの方向も決まり、いくつかの具体案の検討になるばかりだ。
このオリジナルキーホルダーは私自身かなりお気に入りの自信作である。何しろ一人ひとりのその人だけのキーホルダーをナンバー入りで作ることにした。それもナンバーが入っているとか名前が書いてあるということではなく、その個人の名前をアルミから削り出したものに一緒にナンバーも削りだすといった、本当にその人その人の為に一つずつ作る会員の証となるキーホルダーである。
それは草加に近い川口市にある株式会社 栗原精機さんのご協力によるものである。栗原さんの会社は、金属の精密部品製造加工の会社で、そこの加工機械を使って金属のアクセサリーや小物を作っている珍しい会社だ。
話が別の方にいってしまったが、何しろ良い会員証になると自信を持っている。
小林隆・blogサイトも8月6日の打ち合わせの時にはデザインを見られるようにする。6日の打ち合わせには小林君本人も出席してくれるということなので、本人にも確認してもらいながら色々と決めていけるというのが有難い。パソコンやインターネットにはかなり疎い小林君にこれから頑張ってもらい、周りのみんなが応援するはといっても、やはり小林君自信の人柄のような、小林君の温もりを感じられるような温かいサイトにしていきたいと思う。
2005.8.6 小林隆 − 5 < 小林隆後援会 設立へ 4 >
今日は、小林隆・本人も一緒に9月10日の設立パーティーに向けての打合せを行う。小林君も忙しい中、午前中から夜まで一日付き合ってくれるということなので、本人にも確認してもらいながら決めていけるので有難い。小林隆ウェヴサイトのトップページデザインも基本デザインが決まり、これからはそれぞれのコーナーのページ等、実際の中身を作っていく作業に入る。何しろ、これから作っていくサイトなので、中身もこれからの部分が多い、多くの方の協力に頼るところが大きい。今はお見せできないが、直ぐにサンプルをお見せしたいと思う。では今日の打合せの内容もまた書いていきたい。
2005.8.8 小林隆 − 6 < 小林隆後援会 設立へ 5 >
小林隆 ウェヴサイト・トップページの基本デザイン案が決まった。フィエスタのデザイナー佐々木さんに頑張ってもらい、色々と私のわがままにも答えてもらい、とても良いデザインになったと思う。小林隆・本人にも気に入ってもらえたようだ。もちろんこれから少し修正を加えていくが、これを基本に考えていく。正式にご覧いただくには、もう少し時間をいただかなくてはならないが、じょじょに作っていくのを楽しみながら、できれば多くの小林君のファンの方たちにも参加して欲しい。皆で楽しめるようなサイトにしていきたいと思っている。もちろん小林君・本人もそう思っている、と思う。
2005.6.9 思わぬリンク < 天の園製作委員会 >
思わぬところから私のこの随想録ページにリンクをしていただいた。しばらく前に、私が代表をさせて頂いている市民団体のサイトの方へのリンクのお話をいただき、快く承諾させていただいたのだが…。
私は、埼玉県の東松山市に生まれ育った。子供の頃遊び場というと、近くの雑木林や原っぱだった。そして、夏休みには都幾川という市内を流れる川の一つに毎日のように水遊びに通っていた。私の小学校の頃には、学校にはまだプールが無かったので、夏はほとんど可能な日は毎日都幾川に行っていたように思う。私が泳ぎに行くのは、だいたい唐子橋の辺りで、おとうか橋の方に泳ぎに行くのはたまにのことだった。おとうか橋の方には、父に連れられ良く釣りに行ったのを覚えている。
その都幾川、おとうか橋等のある唐子が舞台のアニメ映画「雲の学校」が制作され、5月22日に私たち市民(アニメ「天の園」上映委員会)が中心となって、全国に先駆けてその舞台となる東松山市で上映会を開催した。そのアニメの原作は、唐子を舞台とした児童文学小説、打木村治の「天の園」である。その「天の園」がアニメになるというお話を頂いたところから、ぜひそのアニメを成功させようと市民が一丸となって上映の日に
至ったわけだ。そして、東松山市を皮切りに、吉見、所沢、比企郡、埼玉県、全国へと広め、多くの子供たちやお母さんたちに、このアニメ「雲の学校」を観てもらいたいと思う。その応援をしている団体の一つに私も私たちの会も参加している。
私たちの会の活動の一つに、八幡沼という湧水池の保全活動がある。その八幡沼はアニメの舞台となる唐子にあり、その名前の由来となる八幡神社は小説にも出てくる場所で、会でも作家・打木村治についてのセミナーを開いたりしていることが、検索ロボットに引っかかり、天の園製作委員会からのリンクの依頼となったようだ。
前置きの説明が長くなったが、私たちの市民団体の方へのリンクというお話から、私の仕事関係のサイトも見ていただき、その中のこの随想録のページへのリンクをして頂いたということらしい。
ここでは、なかなか原作の小説「天の園」やアニメ「雲の学校」のことについては説明できないので、ぜひ関係サイトをご覧いただくと共に、アニメ「雲の学校」をご覧いただきたい。
2005.6.4 小林 隆 - 1 < 小林 隆・ミュージカル熱演! お疲れ様でした。>
源さん(前NHK大河ドラマ“新選組!”井上 源三郎・役)こと小林 隆君が、5月13日から29日まで渋谷のパルコ劇場でミュージカルを熱演した。私は4回目の公演となる5月15日に、とても良い席で観せてもらった。「最悪な人生のためのガイドブック」といった、私には絶対に発想できないようなタイトルのミュージカルだ。いや、よくパンフを見ると、ミュージカル・コメディということだった。キャストは川平慈英、森山未來、堀内敬子、小林隆、伊織直加、三鴨絵里子、近江谷太朗、キムラ緑子、草刈正雄といったメンバーに加え、トライトーンというアカペラグループの生の歌声がミュージカル全体のミュージックベースを担っている。これはとてもうまい演出だった。それぞれの配役の歌の合間をつなぎ、配役の気持ちを表現したり、ミュージカル全体を心地よいハーモニーでまとめている。
ストーリーは、宅配ピザ屋“ピッザ・アミーゴ”でバイトする、川平さん演じるフリーターのドイッチと雑誌ライターのアベコとのラブストーリーを中心に、他7人の仲間のそれぞれの恋や愛の行方を綴った物語だ。小林君は“ピッザ・アミーゴ”の店長役で、まじめで人の良い中年サラリーマン店長、地味で野暮ったいが暖かい、そしてやっぱり出世は望めないタイプ。毎日店員の恋や仕事の相談に乗ったり、人の世話を焼きながら、若い娘にほのかな恋心を抱いたりしても、自分の悩みよりも人のことが先になってしまう人の良い店長役の小林君。
物語はアカペラコーラスで幕が開き、アベコが不倫相手の恋人との別れの電話から。そこに頼んでもいないピザが届く。後から来る友達が頼んだもので、友達より先にピザが来てしまった訳だ。そのピザを届けに来たのがドイッチで、成り行きでそのアベコの別れ話の相談に乗ることに、そしてその出会いがきっかけでどういう訳か二人は一緒に暮らすことに。生き方も考えもまったく違った二人が一緒に暮らすことには、友人たちはみな不安だらけ。友人たちもそれぞれに恋や人生の悩みを抱え、それぞれの時間がドイッチとアベコを中心に流れていく。暮らしてみるとやはりくい違いの多い二人。とうとう二人は別の道へと…。
そしてこれは何と言ってもミュージカルコメディ。小林君の踊って歌う姿を見るのが初めての私には、ちょっとその様子は想像できなかった。彼の源さん役はピッタリだったが、高校時代の彼からは歌って踊る姿はちょっと想像できない。サンシャインボーイズの時もミュージカル仕立てのものは見たことが無かった。以前出演した「オケピ」をご覧になった人は、彼の歌って踊る姿を見ている訳だが、今回小林君が歌ったり踊ったりするのを初めて見る私には、楽しみでもあり、不安でもあった。ところが、小林君の歌も踊りもなかなかのもので、ちょっと安心はしたが、その為の練習は大変なのだろうと思う。とはいえ、とても面白い作品で、久しぶりに大笑いしながら楽しむことができた。次の作品もとても楽しみである。
2005.5.14 ペットと(一緒に)泊まれる宿 − 5 < 川遊びには最高!! >
我が家の愛犬(ボーダーコリー)は水遊びや水浴びが大好きで、私のアトリエの前を流れる荒川に連れて行くと喜んで川に入ってしまう。夏でなくても浅瀬の水の中に横たわり、しばし水に浸かってから、水しぶきとじゃれるといった具合だ。石を投げたりして、水しぶきを上げてやると、夢中になって水しぶきを追いかけて川の中を走り回る。
出かける時も、そんな我が家の愛犬の喜ぶような所に連れて行ってやりたいと思うのは、娘たちだけではなく、私もである。そこで昨年の夏に連れて行ったのが、群馬県水上町の谷川だ。犬を連れて行くわけだから、犬と散歩するのに良い所か、犬と遊ぶのに良い所が有ることが、行く先選びの大きな条件となる。その時も、ノーリードで散歩できるところか、きれいな川で娘たちも一緒に川遊びができるところと思って探したのだが、ノーリードで散歩できるところのペンションはいっぱいだったので、谷川のペンションには「もう狭い部屋しかないですよ。」と言うのを無理を言って泊めてもらった。
とても個性的なペンションで、名前も変な感じだし、ホームページから受ける印象も、お酒好きの人たちが集まっているような印象が強く、居酒屋ペンションといった風情だった。実際にはかなり迷ったのではあるが、すぐ前を流れる谷川の水の美しさに惹かれて行ってみることにした。
「ペンション 薔薇の詩」 これがペットと泊まれる宿の名前と考えると、かなり変な感じがするのは私だけだろうか。ところが、名前からは想像もできないくらい、このペンションからの遊びは豊富で、もちろんどれも犬さえ問題なければ、いや、ペットさえ問題なければなのだろうか、一緒に楽しむことができるようだ。カヌーにラフティングとかなりダイナミックなものが楽しめるらしい。
とはいっても、我が家はもっとも身近なところで、目の前を流れる谷川での水遊びで十分であった。澄んだ水の流れに、子供たちも犬(イヌは水がきれいかは関係ないか?)もそれはもう大喜びだった。そこは親切なことに、渓流に堰を作り、子供たちが泳いだりするのにちょうどいい深さにしてあったことも、とても有難かった。またペンションのことに話を戻すと、ご主人はとても犬のことに詳しいようすで、犬を伴うお客の私たちとしても、とても安心できる。お風呂は手づくり岩風呂の内風呂と露天風呂で、その日は調度夕立になってしまい、私たちは内風呂の方に家族で一緒に入れてもらった。内風呂は、入ったら鍵をかけて使うといったシステムなので、貸切風呂にでき、家族(犬は部屋でお留守番)で入れたのが有難かった。ただ、後の人のことを考えるとそんなにゆっくりできないのが残念だったが。また、食事の時は他の泊り客の方たちと一緒に、食堂か外のテラスで、朝食は外のテラスで犬も一緒にいられた。食事はとても美味しかった。
■こだわり・空間 ― 1 < 住宅の露天風呂・家庭用露天風呂 > 2005.5.3
お風呂の好きな人であれば、誰でも自分の家にも露天風呂があればいいなと思うだろう。ところが、実際に露天風呂を自宅に作ろうと考える人はほとんどいないのではないだろうか。温泉も無い自分の家で、露天風呂なんか作ったら維持費が大変だと思うからか、自宅に露天風呂とは考えもしない人がほとんどなのではないかと思う。
私も長い設計仕事の中で、旅館やホテルの計画の他には家庭用の露天風呂を設計する機会は無かった。その機会を得たのは、玉川村のW邸(北斜面の家)を設計させていただいた時だ。当然温泉が在る訳ではないので、給湯器で沸かしたお湯を使っての露天風呂である。
給湯器のメーカーに、住宅に露天風呂(縦1.2m×横1.8m×深さ0.5m)を作りたい旨を相談すると、業務用設備を薦められた。家庭用の一般のボイラーでの計画を話すと、上手く行く保障ができないと言う話だった。私自身は上手く行くだろうと思っていたので、メーカーの心配を他所に家庭用の給湯器を二台利用して家庭用の露天風呂を計画実施した。
浴槽の部分は鉄筋コンクリートに防水処理の後、断熱材を貼り、その上に石(ライムストーン)貼り仕上げとした。浴槽の周囲には自然石を置き露天風呂の風情を演出した。ヨーロピアンスタイルの住宅に合わせ、石の色も和風の露天風呂に良くある青色系や黒色系の石は避け、茶色系の石のみを石置き場のたくさんの石の中から形や表面の具合のいいものだけを選んで使っている。露天風呂は内風呂の前庭も兼ね、植栽はシャクナゲを中心に下草にはツルニチニチソウやヤブラン等を使った。ちょうど今まではシャクナゲが満開で、もうしばらくすると周囲を囲った塀の上が、ノウゼンカズラの鮮やかなオレンジ色の花で覆われる。
オーナーも実際にはちょっと心配していた玉川村の特に寒い冬の時期も、予想以上に快適で、大成功だった。真冬の星空の下、露天風呂で熱い湯に浸かりながらの冷たいビールは格別で、オーナーにとっては自宅の露天風呂である訳だから、格別さもなおさらだと思う。お孫さんやお友だちにも大変好評のようだ。私もオーナーと時のたつのも忘れ、露天風呂で五時間以上も語り明かしてしまった。
2005.4.18 <やっと随想録も書き込んでいけるようになりました。>
大変時間がかかってしまいましたが、どうにか書き込んでいけるようになりました、これまでは鈴木さんにアップしてもらわないと新しい文章を簡単に入れられませんでしたが、これからは私だけで書き込んだり、変更したりできるようになりました。鈴木さんにはお忙しい中大変感謝です。とは言ってもどれ位の間隔で書き込んでいけるか解りませんが、読んで頂ける方にはお許しを頂きたいと思います。先ずは古いものから入れておきますので、よろしくお願い致します。
2004.10.17 ペットと泊まれる宿 - 4
<露天風呂のある「ペットと泊まれる和風の宿」塩河原温泉 美人の湯 渓山荘>
私は、昨年の夏と今年の春夏に家族(犬も含む)で旅行に行ってきたわけだが、一応前に記したように私なりに女房や子供たちや犬にも良いようにと考えて宿を決めた。その宿について少し書くことにする。昨年の夏、初めての「ペットと泊まれる宿」は両親も一緒だったので少しでも良い所にと考え、露天風呂の有る和風旅館をと思って決めた、塩河原温泉 美人の湯“渓山荘”という所だ。埼玉県からあまり遠く無く、ペット同伴可の条件で探すと、誰が探してもここが候補となるだろうと思う。渓山荘は「ペットと泊まれる宿」としてガイドブックやインターネットにも出てはいるが、本来は一般客相手で、ペット同伴にも一部対応した数少ない旅館のようだ。ホームページでも特別に「ペットと泊まれる宿」ということを前面に出していないし、和風旅館ということもイメージとして前面に出していないトップページのデザインになっている。それが狙いなのかは分からないが、白を基調にし、ぼかしの入った洋風デザインのサンルームのようなページから入っていくと(4月現在は右のサクラの写真)、施設のページには和風のお庭や露天風呂といった和風の風情の写真が並び、施設全体としては和風の宿だということが分かる。かといって、純和風旅館というほどでもないので、造りや雰囲気からすると今のどちらともつかないが雰囲気のあるホームページは合っているのかも知れない。宿の企画ものや行事等もどちらかと言えば洋風だと思うが、そうした試みには好感が持てる。本題の施設については、入り口や滞在空間、食事室も一般客とペット同伴者とは別にしてあり、あまり干渉しないでそれぞれが使いやすくしてあるところが良い。犬も室内犬(トイレのしつけ済み)であれば同室で過ごせるし、食事も一緒にいられるのが有難い。別館はどこでもワンちゃんも自由に過ごせ、全部で13部屋ある客室のうち8部屋をワンちゃんにも開放してるとのことだ。ちょっと残念だったのは、食事が今一つといったところだろうか。味が悪いとか言うわけではないが、ワクワクしない、非日常感に乏しい気がする。やはり旅館やホテルでの食事には、非日常性の演出やワクワクするところがないと評価されない。その辺にはもう一工夫欲しいところだ。(現在は食材等、生産者の方を紹介したりと、色々と好ましい試みも行われているようだ。)とはいえ、ペットと泊まれる宿としては数少ない露天風呂のある和風の宿であることは確かである。【2005.4.25 加筆】
2004.10.1 ペットと泊まれる宿 - 3 <やっぱり雰囲気の良い宿に泊まりたい>
私は仕事柄、一般の旅館やホテルに対しても「もう少しこうしたら、こうなっていれば良いのに」と思うことが多いが、数が少ない「ペットと泊まれる宿」に至っては選択肢がほとんど無いに等しい状態で、あれこれいう以前の問題のようだ。現実にはペットと一緒に泊まりたい人たちも、施設の充実したリゾートホテルや雰囲気の良い和風旅館に泊まりたいと考えている人は多いはずで、そういった高級な施設でペットと泊まれる宿が無いから、やむを得ずある中から宿を選ばざる得ないのが、現実である。もっと「ペットと泊まれる宿」でも雰囲気の良い宿が増えてもらいたいが、それはこれから期待することにしよう。今ある雰囲気のよい宿がペットと同伴を可能な部分を作るか、同伴を可能にするか、といったことも可能性としてはあるかも知れないが、先ずは今のペットと泊まれる宿にもう少し施設の改善を望みたい。今はまだ走りなので、どこの「ペットと泊まれる宿」もそこそこの集客は有るのだろうが、それもこれから淘汰されて行くことだろう。「ペットと泊まれる宿」を経営されているオーナーの方には、今に甘んじることなくよりよい施設となるよう努力願いたいと思う。
2005年09月02日
2004.9.6 ペットと泊まれる宿 ‐2 <圧倒的にペンションが多い>
「ペットと泊まれる宿」には圧倒的にペンションが多い。もともと犬や動物好きなオーナーのペンションが宿泊客にもペット同伴を許すようなことから始まったのかも知れないが、集客動員の目的でそうして、現実にも集客アップの一助となっているような所も多いように思う。規模的に見ても、ペンションぐらいなら全館対応可能であろうが、規模の大きな旅館やホテルではペット可とすると、施設の一部というようなわけには行かないと考えるのが一般的であろうし、ペットも可能となると一般客の中にはやはりいやに思う人も多いと思う。どうしても動物が一緒となると衛生面において気になってしまう人も多いだろう。私自身も犬を連れて行かないのであれば、あえて「ペットと泊まれる宿」には泊まろうとは思わないと思う。とはいえ、私自身もそうした宿を利用するようになってみると、少しでも良い宿がないものかと考えるわけで「ペットと泊まれる宿」にも、もう少し泊まってみたいような宿になって欲しい、と考えるのは私だけだろうか。
2004.9.3 ペットと泊まれる宿 ‐1 <増えてきたペット同伴可能の宿>
昨今、「ペットと泊まれる宿」が大変増えてきた。我が家も今年は犬を連れて2年目の夏の旅行を、軽井沢から水上の方へと行ってきた。我が家には小学3年と5年の二人の娘と、1歳と8ヶ月になるメスのボーダーコリーがいるのだが、旅行に行くときは二人の娘が必ず一緒に犬も連れて行くということで、宿は当然「ペットと泊まれる宿」を探すことになる。今は、本屋に行けば「ペットと泊まれる宿」に関するガイドブックも数冊は有るし、インターネットにおいては数十件以上、いや数えきれないほどの関連サイトが存在するだろう。私もご他聞に漏れず、ガイドブックを買い、インターネットで調べ、色々と確認して検討した上でしょうがなし宿を決め、行く先を決めた。何と言っても、どんな宿かは行って見なければ分からないという事である。ペットも一緒に泊まれる宿が増えたとは言え、全体から見ればまだ数パーセントにも満たないだろう。シーズンや夏休みともなれば、どこもほぼ満室で、ちょっと良さそうに思えるところはかなり早いうちから一杯になってしまうようだ。そうは言っても、私はペットと泊まれるからといってどこでも良いという訳ではないので、私自身がここでは…という所では、泊まろうという気にはなれない。しかし、犬がいるので今までのように、良い露天風呂のある良い雰囲気の日本旅館というよう訳けには行かないのが、現実である。今のところ、そういった高級旅館では、ペットと泊まれる宿は無いようである。
2005年09月01日
2004.6.18 WEBサイト制作に当たって ― 1
私はこのWEBサイトの制作を始め、このサイトについて考えれば考えるほどWEBサイトづくりが面白くなってきました。どうしたら良いサイトになるか、SEO対策の為にはどうするか。やはり、出来るだけ多くの人にこのサイトにご訪問いただき、私自身についても解ってもらいながら、心地よくご覧いただき、しばらくしたらまた訪れていただけるような魅力的なサイトにしたいと思いました。そしてそうした気持ちは更に強くなり、他にも多くの魅力的なWEBサイトを作っていけたらと思うようになりました。
2004.6.17 WEBサイト立ち上げに当たって ― 3
私がこのWEBサイトを制作し始めてから思ったことは、このサイトで私自身の仕事のことばかりでなく、私を支えてくれる多くの仲間たちのこと、これまでに私が出会った多くの素晴らしい人たちも紹介して行きたいということでした。私に関するページと共に、これから多くの人に参加いただき、そうしたページもこれから更に充実させていきたいと思っていますので、ご期待下さい。
とはいえ、私の勝手なお願いに快くご協力いただいた、虎澤先生ならびに松本先生を始め、多くの方々に心よりお礼申し上げます。
2004.6.16 WEBサイト立ち上げに当たって ― 2
このWEBサイトの制作に当たって考えたことは、建築設計事務所のサイトとしてどのように作れば、ご覧いただく人に気持ち良く解りやすいサイトになるかということです。最初のイントロからトップページまでの部分をご覧いただくことで、初めて訪れた人でも最初に大体の私の仕事内容や、私の仕事のイメージをつかんでいただける様に考えています。そして更に次のページを見てみたいと思っていただければ、それは私にとっても大変喜ばしいことです。
このサイトの制作においては、見ていて心地よいサイトを心がけ、文章よりも写真を重視したサイトにしました。これもITの進歩があってこそ成せる事です。それでも、全ての方がブロードバンドでお楽しみいただける訳ではありませんので、それらの方々には大変失礼なサイトになってしまっていることを心からお詫び申し上げます。もちろんインターネットの技術もこれから益々進歩して行くと思います。このサイトもまさに今歩き始めたばかりで、これから更により魅力的なサイトにして行かなくてはならないと思っています。この思いを忘れずに、何時までも進歩し続けるよう努力して行きたいと思います。
2004.6.15 WEBサイト立ち上げに当たって ― 1
本当に長い間考えて来た自分(仕事)のホームページを、やっと立ち上げることができました。周囲でホームページの話が出始めた頃から、作りたいと思いながらも、もう何年たってしまったでしょうか。ある会社のお誘いで、ホームページの制作を依頼しては見たものの、原稿や写真資料を渡すことができずに1年余りが過ぎ、「文章も書きますから、必要最小限のデータをいただけますか。」と言われても、そのまま月日は流れ、その後は何も言って来なくなってしまいました。本当にごめんなさい。改めてホームページを作ろうと考えてからまた2年余りが過ぎ、やっとここにお見せできる日を迎えることができました。ご協力いただいた加藤さんと鈴木さんには、本当に感謝しています。あーして欲しいこうして欲しい、こうしたいんだけどできるかなーと色々注文つけるばかりで、言うのは簡単なのは解ってはいますが、それを嫌とも言わずにお付き合いいただき、本当に有難うございます。最初にホームページを作ろうと思った時は、当然の様に誰かにお任せで作ってもらおうと考えていました。時が流れ、周りにも自分でホームページを作る人や、そういう人の話を良く聞くようになってきましたが、私自身は自分ではホームページを作ろうとまでは考えませんでした。ところが、今回いざ作ろうと考え始めたら、急にこんなホームページにしたいという思いが強くなり、全体構成やフラッシュの入れ方などあれやこれやとやりたいことばかり、思うことばかりになってしまいました。本当に二人からすれば、スケッチ描いたり言うのは簡単なんだからと、思ったことでしょう。私自身は、こうして欲しい、こんな感じにと伝えて、できて来るともう少しこうしようか、といった具合にホームページを制作していく日々はとても楽しい毎日です。そして何とかこの日を迎えることになってきたわけです。そしてここに、より多くの方にこのサイトをご覧いただけることを願って、できるだけ心地よくご覧いただけるようにと考えて制作したつもりですので、お気付きの点やご感想等をお寄せいただけると幸いです。
2004.6.14 はじめに
数年来考えていた自分のWEBサイトが、何とか立ち上げられることになりました。自分の仕事に関することが中心になりますが、できるだけ多くの私を支えてくれている人たちも含めてご紹介できるサイトにして行きたいと考えています。そしてこのページでは、私の建築やデザインに関しての考えや、その時々の折に触れての思いを、少しずつ自由に綴って行きたいと思っています。時には、お読みいただいた方に不愉快な思いをさせてしまったり、違った考えの方がいらっしゃる事もあるとは思いますが、できるだけ思うままに書いていきたいと思いますので、ご理解いただきたくお願い申し上げます。