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父の思い出 曼珠沙華 マンジュシャゲ                    2009.9.13

DSCF1921-h 400.jpg駅までの畦道に曼珠沙華の花が咲いた。
毎年曼珠沙華の花の咲く季節になると、亡くなった父を思い出す。

父には、小学生の頃から休みの日にはおにぎりを持ってよく奥武蔵や秩父の方にハイキングに連れて行ってもらった。
兄や父の職場の若い子を連れて,毎週のように出かけていた。

母はというと、出かける日の朝は早起きをしてお弁当のおにぎりを作ってくれるが、母自身は家に残って留守番をしているのがいつもだった。
「私は山歩きは疲れるから、家に居るのが一番。」といったような言葉を言っていたように思うが、母が山歩きには一緒に行かないのが何の疑
                               問もなく当たり前のことに思っていた。

勿論その時々のことも思い出になってはいるが、写真があるせいだろう、集まったのに遠くには行けなくなってしまい、家の近くの雑木林に行っておにぎりを食べた時のことが特に心に残っているのを不思議に思っている。
その日は、残念に思いながらも家の近所の林でのお弁当も意外と楽しかったので、よけい良い思い出になっているのかもしれない。

子供の頃は、友人が遊園地に連れて行ってもらった話を聞くととても羨ましい気がしたものだが、我が家ではそれは考えられないことだった。
大人になってからは、子供の頃にたくさん自然の中に連れて行ってもらったことを本当にありがたく思っている。

私が高校生、兄が大学生の頃になり、父と一緒に山歩きに行く機会がなくなると、父も一時は近所を歩くだけになった。
私が大学時代だったろうか、父が雲取山(標高2,017m)に行きたいということで、父一人で登らせるのは少し心配になり、兄と私が一緒に久しぶりに三人で雲取山へ登った。
雲取に向かう尾根道を、父が後から黙々と歩いてくる姿と私自身の前の尾根道の景色が今もまぶたに残っている。

その雲取登山を機会に、父はその後雲取山に通うようになるとともに、一人で奥武蔵や秩父の山々を毎週のように歩き始めた。六十歳の頃には、週末には暗いうちに家を出て、一日40キロ以上を歩いてきた。雲取山には春に秋に、シャクナゲの咲く頃には山荘の主からお誘いの葉書をいただくこともあり、本当に毎年楽しみに出かけていた。

私が結婚して何年目のことだったろうか、家内の家族と一緒の行った尾瀬歩きが、私にとっては晩年の父と行った思い出の山歩きの旅だ。

兄は、結局晩年の父の夢であった北海道の大雪山山系の旅が最後になってしまったが、その旅が実現できたことは本当に良かったと思う。兄は、父をサポートするのに当初から兄の友人と二人体制を考えていた。ところが、なかなか友人とのスケジュール調整がつかず、ただ月日が過ぎて行ってしまうので、結局父と兄の二人で出掛けることになった。兄一人のサポートは、帰ってからの話でも相当大変の様だったが、その時に実行したことで父の大雪山の夢をかなえることができたので本当に良かった。

父はその翌年肝臓癌が発覚し入院。
毎週40キロ以上を歩いていた元気な父としても、突然の病院生活は思いもかけないことだったろう。
毎年50キロコースへの参加を楽しみにしていた東松山スリーデーマーチの日に、来年を楽しみに病院のベットで過ごす父の姿は、看病する私にはとても悲しかった。

父は入院から3ヶ月後にこの世を去った。享年七十六歳。

そして、父の遺品の手帳の中に父の好きだった「曼珠沙華」を詠んだ句があった。
そんな父のために、父の墓石の周りに曼珠沙華を植えた。毎年季節になるとその曼珠沙華の花が鮮やかに咲く。

七回忌の年には、父の遺骨を持って兄と二人で、父を偲んで久しぶりに雲取山に登った。
雲取山荘は新しくなり昔の面影はなかったが、頂上付近の避難小屋には昔の面影が偲ばれた。
兄と二人、亡き父の面影を偲び雲取山の頂上を後にした。



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